思い出してはイライラ

今日は少しプライベートな両親に対しての気付きを記録しておこうと思います。両親に関しての記事になりますので、不快に思う方はご遠慮下さい。

まず簡単に書くと、私の実家は祖父母が同居していなかったら、間違いなく機能不全家族だったと思います。兄弟間差別、他人と常に比較する、人格否定、言葉の暴力、母の過干渉、価値観の押し付けなど、祖父母の部屋以外は常に母に監視されているようで、とにかく息苦しい家でした。子供の頃から私は父や親戚、祖父母の悪口を母から聞かされていました。その一方で、離婚を勧めると「あんた達がいるのに離婚なんてできるわけがない」とキレられるので、私はいつしか黙って母の愚痴を聞くようになりました。それもあってか、私はいつの頃からか父とは話さなくなり、父に対する自分の気持ちすら分からなくなってしまいました。子供の頃の私にとって、信用できる大人は祖父母だけでした。

私は母の日、父の日が近付くと昔の記憶が色々と蘇り、しばらくの間、ネガティブな感情に引きずられます。何も送らなければ、催促の連絡がくるので送っていますが、義務感からの贈り物選びほどしんどいものはありません。夏至を過ぎた頃から、子供の頃に母から言われた事、された事を思い出してはイライラする日が続いています。丁度その頃、母から父の日のプレゼントが届いた連絡と共に、仕事を辞めたから毎日ヒマで仕方がないと連絡がありました。これがトリガーだったと思います。母も愛情に飢えた寂しい人で、常に見捨てられるという不安を抱えている(母の言動から感じる)ように見えます。自己肯定感も低いので、きっと仕事でしか自分の価値を見いだせなかったのだと思います。その仕事を腰痛で辞めざるを得なくなり、無力感でいっぱいなのだろうと想像も付きます。頭では理解しているのですが、私が心配してほしかった時には、罵倒し、突き放したのに自分は心配して欲しい。。。この構ってほしい、心配して欲しいアピールが毎度私を苛つかせるのです。

母から病気自慢をされる度に、私が母から罵倒され突き放された言葉が蘇ります。母には心の余裕がないこと、愛情表現がわからないなど要因がある事も頭では分かっています。離れて暮らしているわけだし、母が忘れているのなら、いっそのこと私も何も無かった事として過ごせればいいのですが、心が納得してくれません。

私が自分の人生を思いっきり楽しむこと、愛情に溢れた家庭を築きあげること、そして、この負の連鎖を私でストップすること。これが、私にできる最大の仕返しなのではないかと思います。きっと、親からしっかりと愛情を受けて育った人からすると、親が子供の幸せを喜ぶのは当たり前だと思いますが、愛情に飢えている母は、表面的には嬉しくても潜在的には悔しいと思います。子供、特に私のすることは何もかも気に入らない母からすると、私が自分の夢だった海外生活を叶え、夫と息子と仲良く暮らしていることも気に入らないのだと思います。私は、自分の人生を通して、この負の連鎖をストップする。こんな連鎖、絶対に息子に受け継いではいけない。と強く感じる返還記念日です。

40代からの快適な体と心

香港でアロマセラピスト、数秘術講師をしておりますYukariです。2018年、海外初の美姿勢トーニングインストラクターになりました。 メンタル、フィジカル両面から女性をサポートします。 APDHA; Asia Pacific Diploma of Holistic Aromatherapy リリ数秘術認定講師 日本エレガンストーニング協会認定 美姿勢トーニング講師

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